Jan 29, 2012

Ch27-9

The "Hero" of the Dream
夢の「主人公」

世界の夢の中では体がその中心的存在です。
体無くして夢は在りません。そして夢無くして体は存在しません。
夢の中で体はあたかも人であるかのように振舞い、人として見られ、人として信じられています。
全ての夢の中で体がその中心の場所を占めており、「それがどのようにして他の体から生み出されたか、体の外にある世界の中に生み出されたか、そして暫くのあいだ生きて、それから死んで、灰の中で(やはり死んでしまった)他の体達と再会する」というストーリーを語るのです。

与えられた僅かな時間にそれは生き、友達としてそして敵として他の体を捜し求めるのです。体の安全がその主な心配事です。体の安楽がその原則的ルールです。
それは快楽を求め、痛みを与えるものを回避しようとします。
しかし何よりもそれ(自分を体だと考えている者)はそれ自身に対して「苦痛と喜びは異なるもので区別することが出来る」と教えるのです。

体は「それが独立しておりリアルなのだという証明」を色々な方法で求めるので、世界の夢は色々な形で現れています。
体は、それが「価値があり有用だと世界によって認められている鉄の円盤や紙切れ{貨幣や紙幣}で買い求めたもの」をそれ自体に取り付けます。
それ(体)はそれら(お金)を取得する為に働き、無意味なことを行ない、「それ(体)が必要としていない求めてさえいない無意味なもの」の為にそれら(お金)を投げ捨てます。
それは他の体を雇ってそれを守らせようとします。
そしてそれ(体)は「それ(体)が所有しているもの」と呼べるより多くの無意味なものを集めようとします。
それ(体)は、その夢を共有出来る特別な体達を捜し求めます。
それは時には、それ自身よりも脆弱な体の征服者であることを夢見ます。
しかし夢のどこかの段階で、それ(あなたの体)は(それを虐げ痛める)他の体達の奴隷なのです。

誕生の時から死亡までの体の冒険遍歴が世界が今まで提供して来た全ての夢のメインテーマ(主題)なのです。
この夢の「ヒーロー(主人公)」は決して変らず、その目的も変りません。
夢そのものはあらゆる形を取っており、「主人公」が存在する様々な場所や出来事のバリエーション(変化)を示している様に見えていますが、夢は(様々なやり方で教え込まれる)一つの目的しか持っていないのです。

この一つのレッスンを夢は何回も何回も教え続けようとし続けるのです。
夢が教え込もうとしているこのレッスンとは『それ(夢/世界/体)は「原因」であって「効果/結果」ではない。そしてあなたはその(夢/世界/体)の結果で、その原因では在り得ない。 だからあなたは夢見ている人ではなく「夢/結果/体」なのだ。 』ということなのです。
だからあなたはそれ(世界/夢)が作り出している場所や出来事の中を所在無く怠惰に行き来しているのです。 これが「体」がすることの全てなのです。何故なら、それ(体)は夢の中の影でしかないのだから。

しかしこれらの形(体)がリアルであると考えない限り、だれもこれら(形)に反応する人達はいないでしょう。
彼がそれらの形をそれそのものとして(形の真の姿を)見た途端、それらは彼に対してはもう何の影響も持たなくなるのです。 何故なら、彼自身がそれらの形を発生させることによって(そしてそれらの形をリアルに見せることによって)それらの形にその影響力を与えていることを彼は理解するのだから。
あなたは「世界が今まで持ってきた全ての夢の効果/結果を逃れること」に対してどれだけ意欲的に(従順に)なれるでしょうか。
 
『どのような夢も「あなた」がしていることの原因に見えないようにすること』をあなたは願っていますか?
夢の始まりだけを見続けるのは止めましょう。{夢の原因として見えている部分だけに意識を囚われてしまうのは止めましょう。}何故なら、あなたが見ている部分は「第二」の部分で、その「原因」は第一部分の中にあるのだから。

眠ってこの世界の中で夢見ている人達は誰も自分が自分自身を攻撃していることを覚えていません。
「自分が体を全く知らなかった時があったこと、そしてこの世界がリアルであるとは全く考えられなかった時があったこと」を信じている人は{この世界の中には}誰も居ません。
{自分が体ではないことが解ったなら、この世界がリアルではないことが解ったなら}(自分は体である、この世界はリアルであるといったような)これらのアイディアが(余りに馬鹿らしくて笑い飛ばすしかない)一つの幻想であることが直ちに解ったはずです。
これらのアイディアは今なんと深刻に(リアルに)見えていることでしょう。そして自分達がこれらのアイディアを笑って信じなかった時があったことを{この世界の中では}誰も思い出せないでいるのです。
これら(のアイディア)の原因を直接見さえしたなら、わたし達はこれを思い出せるのです。
そしてわたし達は(怖れの原因ではなく)笑い出すべき事実を見るのです。
わたし達は夢見ている人に(夢見ている人が捨て去った)夢を返しましょう。夢見ている人は、夢を彼自身から分離しているものとして知覚しており、世界(の様々な出来事)が彼に対して行なわれていると知覚しているのです。

全てが一つである永遠の中に、小さな狂気のアイディアが入り込み、神の子はそれを笑い飛ばすことを忘れてしまったのです。
彼(神の子)がこのアイディアを笑い飛ばすことを忘れたので、これが(達成可能でリアルな結果を生む)シリアスなアイディアに成ってしまったのです。
わたし達は一緒にこれら(この狂気のアイディアが達成可能でリアルな結果を生み得るという考え)両方を笑い飛ばせるのです。そして時間が永遠の中に侵略して来ることは不可能だと理解することが出来るのです。
時間がやって来て永遠を包囲出来ると考えることはジョークです。
永遠とは時間が存在していないという意味です。
無時間性の中で時間がリアルに作られている(時間感覚がでっち上げられている)のです。
自分自身を攻撃出来る神の一部、敵としての分離している兄弟姉妹、体の中のマインド、これら全ては「同じ場所をグルグル回り続ける一形態」なのです。
その「終わりの部分」はその「初めの部分」から始っており、その終わりがその原因なのです。{その原因(夢の原因)の下に返って行ってそれ(夢)は終わっているのです。}

あなたが見ている世界は「あなたがしたと思ったこと」を忠実に描写しているのです。
ただし「あなたが(誰か/何かに対して)したこと」が今度はあなたにされていると、あなたは考えているのです。
「あなたが考えた罪悪」があなたの外に設置されているのです。
「あなたの考えた罪悪」が(あなたの夢を夢見ている、そしてあなたの代わりにあなたの思考を考えている)「罪に満ちた世界」の上に設置されているのです。

それ(あなたが夢見ている「罪に満ちた世界」)が、あなた自身の復讐ではなく、(あなたから独立した)それ自身の復讐を持ってくるのです。 それはあなたを体の中に閉じ込め、体がその夢の中で行なう全ての罪深いこと故に、それ(罪に満ちた世界)は体を懲罰するのです。 あなたは体が行なう邪悪な行為を止める力を持っていないのです。何故なら、あなたはそれ(体)を作っておらず、その(体)の行動や目的や運命をコントロールすることは出来ないのだから。 {とあなたが夢見ている世界の中であなたは考えているのです。}

世界は『「あなたが他者に対して行なったとあなたが考えていること」を他者があなたに対して行なうとあなたは信じる』という古代の真理だけをデモンストレーションしているのです。

しかし「彼等」のせいにすることによって一度自分の目をくらましてしまったなら、あなたは彼等がしていることの「原因」が見れなくなってしまいます。
何故なら、その場合あなたは彼等の上に罪悪が置かれることを望んでいるのだから。{何故なら、その場合あなたは彼等の上に「問題の原因」が与えられることを望んでいるのだから。}

あなた自身の外に罪悪を押し出してあなたの無垢を保とうとするこの奇妙な装置(操作)は何と子供染みているのでしょう。
あなたが自分の周りに、その重い結果{罪の報い}だけを(結果の原因を見ることなく)見ている時、{原因と結果を取り違えている}この茶番を認識することは簡単ではありません。
原因抜きで見られたなら、その効果は確かに深刻で悲しく見えるのです。
しかし効果は原因に従って起こっているだけなのです。
そして効果の「原因」こそが効果を与えて(結果を作って)いるのです。
だからこれ(効果と原因を取り違えること、体が自分の原因だと考えること)は茶番なのです。

(優しい笑い声の中で)聖霊は原因を知覚し結果は見ません。
それ以外にどうやって、原因を完全に見越す彼(聖霊)が「あなた」の間違いを修正出来るというのでしょうか?
全ての酷い怖ろしい効果/結果を自分(聖霊)の下に持ってくるよう彼(聖霊)は言うのです。酷い怖ろしいもの/ことの馬鹿げた原因をあなたが彼(聖霊)と一緒に見て、彼と一緒に暫く笑えるように。
そして彼(聖霊)の裁きにより効果(結果)が取り除かれるのです。
「あなた」は効果を裁いて(判断/決定して)います、しかし彼(聖霊)は効果の「原因」を裁くのです。そして彼の裁きにより効果/結果が取り除かれたのです。

もしかしたらあなたは泣いていたかもしれません。しかし「私の兄弟よ、神の聖なる子よ、その中で{あなたを苦しめる}このようなことが起こり得る『あなたの怠惰な夢』を見てみなさい。」と彼(聖霊)が言うのを聞き、あなたは笑いと共に聖なる瞬間を去り、あなたの兄弟姉妹も彼(聖霊)と一緒に繋がるのです。

救済の秘密とは次のことだけなのです: 「例えどの様な形の攻撃を受けているように見えても、あなたはそれを自分自身に対して行なっている。」 
攻撃がどのような形で起こっていても、それでもこれ(上記)が真実なのです。
誰が敵/攻撃者の配役を受け取っていても、それでもこれが真実なのです。
あなたが感じている痛みと苦しみの原因がどのように見えていても、それでもこれが真実なのです。

何故なら、自分が夢見ていると知っている時には、あなたは夢の中の形/人物には全く反応しないのだから。
これが自分の夢だとあなたが認識出来ていたなら、夢の中の人物があなたに影響を与えることは出来ないのだから、彼等がどれだけ憎しみに満ちて猛り狂っていても問題はないのです。
このレッスンを習得したなら、あなたは苦しみから(例えそれがどのような形を取っていたにしろ)解き放たれるのです。

(あなたに痛みをもたらしている苦しみの形がどのようなものであったにしろ)聖霊はこの一つの包括的解放のレッスンをそれが学び取られるまで繰り返すのです。
あなたを苦しめているもの全てを彼(聖霊)の下に持って行きなさい。彼はこのシンプルな真実で全てに答えるのです。
何故なら(あなたを苦しめているもの全てを聖霊の下に持って行きなさいという)この答えが全ての悲しみと痛みの原因を取り払うのだから。
(痛みや苦しみの)形は彼(聖霊)の答えには全く影響を与えません。{あなたの苦しみや痛みがどのような形で現れていても、聖霊の答えは同じです。}
何故なら彼(聖霊)はそれら全て(あらゆる形のあなたの苦しみと痛み)の単一の原因をあなたに教えるのだから。
そして{聖霊の答えを聞いた}あなたは、「私がこのことをしたのだ。そして私はこのことを解除する。」というシンプルな文章/宣言を奇跡が反映していることを理解するのです。

だから全ての形の苦しみを「全ての苦しみが同じであることを知っている彼(聖霊)」の下に持って行きなさい。
彼(聖霊)は違いが存在していない所に違いを見ないのです。そして彼(聖霊)はどのようにしてそれぞれの苦しみが起こっているか(あなたの苦しみの原因が何か)あなたに教えます。
全ての苦しみの原因は同じで、全ての苦しみは本当に学ばれた一つのレッスンで簡単に解除されるのです。

救済とはあなたがあなた自身から隠してきた秘密なのです。 
宇宙がそう宣言しているのです。
しかし救済の証人に対して{まだ}あなたは全く注意/意識を与えていないのです。
何故なら彼等(救済の証人)は「あなたが知りたくないと思っていること」を証言しているのだから。
だから彼等(救済の証人)がそれ(救済)をあなたから秘密にしているように見えているのです。

あなたは「自分は聞かない/見ない選択をしている」と学ぶ必要があるだけなのです。
これが認識された時、あなたは世界を今までとはとても違うように知覚し始めるのです。
あなたが世界から「あなた」の罪悪を赦した時、あなたはそれ(罪悪を表している世界)から自由になるのです。
世界の無垢はあなたの罪悪を要求しておらず、あなたの無罪が世界の罪を必要としている訳でもありません。
これ(上記)は明確で、これはあなた自身だけに対して隠されている秘密なのです。
そしてこれ(「世界の無垢があなたの罪悪を要求しておらず、あなたの無罪が世界の罪を必要としていない」ことをあなたが秘密にしていること)が、あなたを世界から「分離」して保っているのです。 
{これが世界から分離した「あなた」を保持しているのです。}

今あなたは「あなた達両者は両方とも無罪か、でなければ両方とも有罪である」ということを学ぶ必要があるのです。
あなた達がお互いと異なっている(違っている)ということは在り得ないので、あなたが無罪なら兄弟姉妹も無罪で、あなたが有罪なら兄弟姉妹も有罪で、あなたの兄弟姉妹が無罪ならあなたも無罪で、あなたの兄弟姉妹が有罪ならあなたも有罪なのです。
これがまだ学ばれていない唯一の秘密なのです。そして(これが学ばれたなら)あなたが癒やされていることが秘密ではなくなるのです。

Jan 28, 2012

Ch27-8

The Illusion of Suffering
苦しみの幻想

苦しみは『世界が「あなた」に対して行なった全てのこと』を強調する手段なのです。
ここに世界救済の狂気のバージョンが明確に示されているのです。

『(何が自分を攻撃しているか気付いていない)懲罰の夢のように、「夢見ている彼」は自分が(自分以外の者から)不当に攻撃されていることを見ているのです。
「彼」は「(彼が全く責任を負っていない)何か別なもの、彼の外にある何か」の被害者なのです。 
彼は無罪に違いないのです。何故なら彼は「自分が何をしているか」知っておらず、「自分に対して何が行われているか」ということだけを知っているのだから。
しかし本当に存在しているのは彼の彼自身への攻撃だけなのです。何故なら彼が苦しみを受けているのだから。{苦しみを負っているのは彼なのだから。}
そして彼は逃れられないのです。何故なら攻撃の原因が彼の外に見られているのだから。』

上記の説明が「あなたが(幻想/苦しみから)逃れられること」を示しているのです。
「あなたが問題を設定した通り」に問題を見るのではなく、問題それそのものをハッキリと見ることだけが必要なのです。{あなたは自分で問題を設定しており、問題をあなたが設定した通りに見ていたのでは(あなたが設定した問題が実在していることを知覚認識し続けていては)、問題は解決出来ないのです。}
(問題を解決不能にする為に作られている)重い複雑な雲が覆いかぶさっていた場合、問題を解決するとてもシンプルなもう一つの見方が見つけられないのです。
しかし{「自分が問題を設定した通り」に問題を見続けようと試みる}雲が取り払われたなら、問題本来の単純な姿が現れるのです。
この選択は難しいものではありません。 何故なら問題が明確に見定められたなら、その問題が馬鹿げていることが解るのだから。
問題があなたを痛めていることが見れたなら、問題をシンプルに解決させるよう自分のマインドを決めることは誰にとっても簡単で、だから問題は簡単に取り除かれるのです。

世界が作られている「理由」は、世界が成り立っている「理由」は、世界が保持されている「理由」は、下記の思考に基づいているのです:
『「あなた」が私の行動の原因です。「あなた」の存在が私の怒りを「正当化」しています。そしてあなたは私から「離れて」存在しています。「あなた」が攻撃している限り、私は無罪/無垢であるに違いないのです。そして私が苦しんでいるのは「あなた」からの攻撃を受けているからです。{私の現状は「あなた」の攻撃を現しているのです。}』  

この「論理」を正確に調べてみたなら、これが理屈に合っていないことが誰にでも解るでしょう。
しかし世界があなたを苦しめているように見えているので、この論理が妥当であるかのように見えるのです。
だから{苦しみの}原因を調べるために「当然と思われていること」をあえて疑う必要が感じられていないのです。

しかし{あなたの感じ方/考え方を疑う}必要が確かにあるのです。
断罪から世界が逃れる必要を世界の中の人々が分け合っています。
しかし人々はこの共通の必要を認識していません。
何故なら「自分が己の役割を担ったなら、世界の断罪が自分の上に課せられるだろう」と人々はそれぞれに考えているから。
そして彼(世界の中の人々)はこれ(自分が世界の断罪を背負うこと)が世界を救出する為に必要な自分の役目なのだろうと認識してしまっているのです。
報復(仕返し)には焦点(対象)が必要です。
それ(仕返しの対象)が無ければ、復讐者のナイフは自分の手の中にあって自分自身に向けられていることに成ってしまいます。
だから(自分で選ばなかった攻撃の被害者に彼が成る為には)彼は復讐のナイフを他者の手の中に見る必要があるのです。
こうして彼は「自分では持っていないナイフからの傷を被る」状況を自分自身に対して与えているのです。
これが彼(世界の人々)の見ている世界の目的なのです。
そしてこのように見られたなら世界は「彼のこの目的を満たしている方法」を提供しているように見えるのです。
方法が目的を証言しているのですが、方法そのものが原因なのではありません。
そして原因をその効果/結果から離して見ることにより、原因が変えられてしまう訳でもありません。
原因が効果/結果を生んでおり、効果/結果は(効果そのものを証言しているのではなく)原因を証言しているのです。
であれば効果/結果を超えて見通しなさい。
苦しみと罪の原因が存在しているのは、{苦しみという}結果の中では在り得ないのです。
苦しみと罪の中に居続けるのは止めなさい。何故なら、それらはその原因の反映でしかないのだから。{苦しみと罪は「苦しみと罪を出現させている原因」の反射でしかないのだから。}

あなた自身が逃れることが、世界を断罪から救出するあなたの役割(配役)なのです。
「世界の邪悪を証言する者」は「世界の中に悪がある必要を見ている者」の為以外には喋ることが出来ないことを覚えておきなさい。
そしてここ(世界の中に悪がある必要が見られている所)において「あなた」の罪悪が最初に見られたのです。
自分の兄弟(姉妹)からの分離の中で、あなた自身への一番最初の攻撃が始ったのです。
そして世界はこの証言を行っているのです。
これ以外の原因を見つけようとするのは止めなさい。世界の証言の多くの軍団の中からその解除を探そうとすることも止めなさい。
彼等(分離している世界の証人達)は{分離している世界に対する}あなたの忠誠心の上にその証言を成り立たせているのです。
真実を見つけようとして「真実を隠しているもの」の中を探しても無駄なのです。
罪の証人達(罪が実在することを証言している者達)は全て「ひとつ」の小さなスペースの中に立っているのです。
そしてあなたはここ(罪の証人達が立っているひとつの小さなスペース内)に「世界に対するあなたの知覚の原因」を見つけるのです。

世界があなたの前に無遠慮に押し出しているように見えている全ての原因が何なのか解らなくなった時点で、それがリアルになったのです{分離した世界がリアルに見えるようになったのです}。
しかし「痛みと苦しみをもたらしているとあなたが知覚している様々な原因」の中にはあなたの罪悪は含まれていないとあなたは確信しているのです。
そしてあなたはそれら(苦しみや痛み)を自分の為に求めはしなかったと確信しています。
このようにして{自分は苦しみは求めなかったと確信し、苦しみの原因を「自分が分離を選択したこと」の外に求めることにより}幻想が立ち昇って来ているのです。
それら(苦しみや痛み)を 作っている者は、自分がそれらを作っているとは、そしてそれらのリアリティが自分{の選択}に依存しているとは見ていないのです。
それら(苦しみと痛み)の原因は自分からはとても離れている(自分とは違った)もので、自分が見ているものは自分のマインドからは分離している。{と考えられているのです。}

彼は自分の夢のリアリティを疑ってみることが出来ないのです。何故なら夢を作っているそして夢をリアルに見せている自分の役割を彼は見ていないから。
「世界が彼の為に夢見ている夢」から醒められる者は誰も居ません。
{そのように考えている限り}彼は「誰か他の者」の夢の一部に成ったのです。
そして彼は自分で作らなかった夢から目覚めることを選択することは出来ないのです。
彼は呆然とやるせなく立っており、分離したマインドが考え出して大切にしている夢の被害者に成っているのです。
この分離しているマインドは確かに彼に対して無慈悲に違いないのです。
天気や時間の運行のように、このマインドは(夢の中の)彼の平和と幸福に対しては無思量(思いやりが無い)に違いないのです。
それ(分離したマインド)は彼を愛してはおらず、気分次第で彼を投げ捨て、その夢の願望を満たす為に彼にどのような配役でも与えてしまうのです。
彼の価値はとても僅かで、世界の夢の無意味なプロットに従って上下に跳ねて踊る影にしか過ぎないのです。

もしあなたが自分の夢を夢見ている人で無かったなら、もし{夢の}原因が他になかったなら(もし夢の原因が夢の外になかったなら)、これ(上記の無意味な世界)だけがあなたに見える絵で、これだけがあなたが選ぶことの出来るチョイス(選択肢)になってしまうのです。
もし苦しみの原因が「あなた」のマインド内にあることをあなたが否定しているなら、あなたはこれ(無意味な夢)を選んでいるのです。
これ(苦しみの原因があなたのマインド内にあること)が真実であることを喜びなさい。 何故なら、これが真実であるが故に「あなた」は「時間の中のあなたの運命」を決めている者なのだから。
あなたは「死と邪悪の夢」と「生命の喜びに溢れた嬉しい目覚め」のどちらかを選ぶことが出来るのです。
生命と死の間で、目覚めと夢見の間で、戦争と平和の間で、あなたの夢とあなたのリアリティの間で、何があなたに選べるのでしょうか?
もし選択権が本当にあなたに与えられたなら、あなたは自分が選んでいるもの達の原因をそれそのものとして(その真の姿で)それが存在している場所に見なくてはいけないのです。
一つの選択肢だけが明確に認識されている時に、二つの状態の中からどのような選択を行なうことが可能だというのでしょうか? 
「ひとつ(の選択)」だけがあなたの選択権に見えている時に、異なる効果/結果の間を自由に選択出来る者が居るでしょうか?
正直な選択(本当の選択)が『「卑小なあなた」と「(あなたの中の真実に関す異なる夢達を内包している)巨大な世界」に分けられたどちらかを選ばなくてはならないこと』として知覚認識されることは決してありません。 

リアリティと夢の間のギャップは「世界の夢」と「秘密裏にあなたが抱いている夢」の違いから来ている訳ではありません。 それら(「世界の夢」と「秘密裏にあなたが抱いている夢」)は一つなのです。
世界の夢はあなたが投げ捨てた「あなた自身の夢の一部」で、これ(世界の夢)があたかもこれ自身の始りと終わりを持っているかのようにあなたはこれ(世界の夢)を見ているのです。
しかしこれ(世界の夢)はあなたの「秘密」の夢によって始められたもので、あなたはこれを知覚/認識していませんが、これがあなたが見ている部分/世界(そしてあなたはこの部分がリアルであることを疑っていません)を発生させているのです。
あなたが眠っており、これ(あなたが見ている部分/世界)の原因がリアルだと秘密裏に夢見ている間は、あなたがこれ(世界の夢)に疑念を懐くことは難しいのです。

あなた自身から分離した兄弟姉妹、古代の敵、夜に待ち伏せしてあなたのゆっくり迫り来る死を練っている殺人者。それらをあなたは夢見ているのです。
そしてこの夢の下にはもう一つの夢があり、その中では「あなた」が殺人者/秘密の敵であり「あなたが怖れている兄弟姉妹と世界」の破壊者なのです。
(あなたの夢とあなたのリアリティの隙間/スペースである)ここに苦しみの原因があるのです。
(あなたが見さえしていない)この小さなギャップ(隙間)が、幻想と怖れが生まれている場所で、恐怖と古代の憎しみの時間で、災害の瞬間なのです。 それらはすべてここに在るのです。
ここに非現実(リアリティでないもの)の原因があるのです。
そしてそれはここ(ギャップ内)で解除されるのです。
「あなた」が夢の世界を夢見ている人なのです。
それ(夢の世界)があなた以外の原因を持ったことは一度もないのです。

神の子を脅し「自分は無垢を失っている、自分は自分の父を否定しており父に対して戦いを挑んでいる」と神の子に考えさせている「怠惰な夢(立ち止まっている夢)」以上に怖ろしいものは存在していません。
この夢はとても怖ろしくとてもリアルに見えているので、より緩やかな夢が彼の目覚めの先頭に立ち彼のマインドを静めて「愛をもって彼を目覚めさせようとして呼びかけている声」を(恐れるのではなく)歓迎出来るように成らない限り、恐怖と死への怖れなくして彼(神の子)はリアリティに目覚めることが出来ないのです。
(その中で彼の苦しみが癒やされている、そして兄弟姉妹が彼の親友に成っている)より優しい夢の中で、神が彼(神の子)の目覚めを優しく喜びと共に意図するのです。
そして怖れを持たずに目覚める方法を彼(神の子)に与えるのです。
あなたの夢の替わりに、彼(神)が与えている夢を受け入れなさい。
夢見ている人が誰であるか一旦認識されたなら、夢をシフトさせることは難しくありません。

聖霊の中で休息しなさい。そして「あなたが怖れと死の恐怖の中で見ていた夢」が「聖霊の優しい夢」で置き換えられることを許しなさい。
彼(聖霊)は赦しの夢(寛容な夢)を持って来ます。 この夢の中での選択は「誰が殺人者か?」ではなく「誰が犠牲者になるのか?」でもないのです。
彼(聖霊)が持って来る夢の中には殺人も死もありません。
あなたの目は閉じられているのですが、罪悪の夢はあなたの視界から消えつつあるのです。
眠っているあなたの顔の上に光り輝く微笑みが訪れており、これらはハッピードリーム(幸福な夢)なので、いま眠りは平和に成っているのです。
聖なる無垢の中であなたと一緒になっている「無罪な兄弟」の優しい夢を静かにご覧なさい。
そして「この夢」の中から、天国の主自身が愛するわが子を目覚めさせるのです。


あなたの兄弟の間違いに{あなたの意識を}留めるのではなく、あなたの兄弟の優しさを夢見なさい。
彼が与えた傷を数え上げる代わりに、彼の思量深さに関して夢見ることを選びなさい。
彼の幻想に関して彼を赦して、彼が与えてくれた全ての助けに感謝しなさい。
そして彼の多くのギフトを払いのけてしまうのは止しなさい。 何故なら、あなたの夢の中では彼はパーフェクトではないのだから。
彼は(あなたに命と死の両方を捧げ与えている者としてあなたが見ている)彼の父を象徴(代表)しているのです。
しかし兄弟よ、彼(神)は命だけを与えているのです。
「あなたの兄弟姉妹が分け与えているギフトとしてあなたが見ているもの」は、『「あなたの父があなたに与えている」とあなたが夢見ているギフト』を象徴しているものなのです。

あなたの兄弟姉妹の全てのギフトを、あなたに与えられている慈愛と親切の光の中で見なさい。
そしてどのような痛みも「彼からあなたへのギフトに対するあなたの深い感謝の夢」を妨げないようにしなさい。