Jun 29, 2011

幻滅

特別な関係に幻滅しろ?

なるほど、ポールさんと私の現在の関係に幻滅した訳ね、私。

やっと解った!

何故NWFFACIMに批判的な文章を書いてアップして良いと精霊が言ったのか。
何故前回ポールと会った時「とても素晴らしいことがあなたに起こる」とラジが言ったのか。
それにも関わらず、私は幻滅し続けて、それでも翻訳を続けていたのは何故か。

え! このWEB読んでるあなたも私に幻滅してる?
どういたしまして。



質問1: やっと解った、って何が解ったんですか?

答え: 私が結構忠実にACIMを実践していて、そのお陰でポールさんに幻滅を感じた、ということです。
つまりACIM 第17章を真剣にやれば、当然の事として自分の関係に対して幻滅する訳です。  だって、幻滅しろって書いてあるんだもん!


質問2: 素晴らしいことって何ですか?
答え: 私が知らないうちにACIMに忠実に従ってたことが、素晴らしいことです。 何故ならば、私の知らなかった意志が自分の中で働いていたと私が気付いたのだから。

(上記ではまだ解り難いですか?  抽象的な表現になってしまいますが「自分で今まで気付いていなかった自分の意図が自分の中で確認され始めている」といった感じです。 まだよく解っている訳ではないけれど。)

Jun 25, 2011

Chapter 31-8

Choose Once Again
[もう一度選び直しなさい]


(どこでどのような形で起こっていたにしろ)誘惑が教えようとするレッスンは一つだけです。
このレッスンは神の聖なる子供に「彼(神の子)は体で、死すべき体の中に生れ落ちて来たもので、その脆弱さから逃れることは出来ず、体が感じるよう命令しているものに彼は縛られている」と教えようとします。

「誘惑のレッスン」は神の子の能力に対して限定を与え、その限定された力だけが彼(神の子)の持っている力で、彼(神の子)はその卑小な限定された範囲の中でしか力を発揮出来ないと教えるのです。

 
キリストがその全ての栄光と共にあなたの前に現れて「世界を救う者達の仲間に成るか、地獄に留まり自分と兄弟姉妹を一緒にそこに押し留めようとするか、今一度選び直しなさい」と言っていた場合、あなたはこのような存在(限定された力しか持っていない肉体)で在り得るでしょうか?
彼(キリスト)は来ており、彼(キリスト)がこの質問を訊ねているのです。

 
あなたはどのようにしてこの選択を行なっているのでしょうか?

これはとても簡単に説明出来ることです。
あなたは常に「自分の弱さ(脆弱性)」と「あなたの中のキリストの強さ」のどちらかを選んでいるのです。

そして「自分が選んだ方がリアルだ」とあなたは考えるのです。

{あなたが自分の弱さを選んだなら、あなたは自分の弱さをリアルに体験します。 あなたが「あなたの中のキリストの強さ」を選んだなら、(日常の一瞬一瞬の中で)あなたはそれを体験するのです。}

 
弱さに自分の行為を任せなくなれば、あなたは自分の弱さに力(リアリティ)を与えなくなるのです。

そして、あなたの中にあるキリストの光に全ての決定権が与えられるのです。

何故なら、その時あなたは彼(キリスト)の所に「あなたの弱さ」を持って行っており、「あなたの弱さ」の代わりに彼(キリスト)が「彼の力」をあなたに与えているのだから。

 
試練とは「繰り返され続けている同一のレッスンをあなたが学べないでいる状態」なのです。 今まであなたは間違えた選択をして来ており、今度は(以前と同等の選択ではなく)正しい選択を行ない、(以前の選択があなたにもたらした)痛みから自由に成るべきなのです。

 
あなたが直面している全ての「試練/ストレス/困難/謎」の中でキリストがあなたを呼んでおり「兄弟よ、もう一度選びなさい(選び直しなさい)」と優しく言っているのです。

彼(キリスト)は全ての痛みを癒やし、真理の上に覆いかけられているイメージ(虚像)を全て剥がすのです。

神が喜びの祭壇をあなたの中に創造しました。 神の祭壇であるあなたの全ての惨めさを神は取り除きます。

彼(キリスト)は地獄の夢の中のあなたを一人にはせず、あなたが苦しまないようにします、そして「彼(キリスト)の顔をあなたから隠している全てのもの」をあなたのマインドから取り除きます。

 
彼(キリスト)の神性はあなたのものなのです。 何故なら、彼(キリスト)だけがあなたの中の唯一リアルな力なのだから。

彼の力はあなたのものなのです。 何故なら、彼(キリスト)は「神の一人子として神が創造した自己」なのだから。

 
あなたが作っているイメージが「神自身があなたとして成り立たせているもの」に打ち勝つことは出来ません。
誘惑を怖れる必要はありません。誘惑をその真の姿で見て、選び直す(正しい選択をし直す)チャンスと捉えなさい。 そして全ての状況の中に、あなたが自分のイメージを今まで掲げてきた全ての場所に、キリストの力を行き渡らせ、それに全てを統治させなさい。

 
何故なら、「キリストの顔を隠しているように見えているもの」は彼(キリスト)の尊厳の前では無力で、彼(キリスト)の聖なる視力の前で溶けて無くなってしまうのだから。

(キリストとして見られる)世界の救世主とは「キリストから離れた時に見えている自分達の弱さを選ぶのではなく、キリストの力を選んでいる者達」のことなのです。

彼等が世界を贖う(救済する)のです。 何故なら、彼等は神の意志の全ての力と繋がっているのだから。そして彼/キリストの意志だけを彼等は望んでいるのだから。

 
だから(自分自身を弱く惨めな者として知覚/認識する)全ての誘惑に対して下記の言葉で応えるハッピーな習慣を学びなさい。

"I am as God created me. His Son can suffer nothing. And I AM His Son."

[私は神が私を創造した通りに存在しています。神の子が何かを苦しむことは不可能です。 そして私は神の子なのです。]

 
このようにしてキリストの力が呼び込まれ、それが行き渡り全てを統治し、「あなたの弱さ」を「(決して挫かれることのない)神から来ている力」で置き換えるのです。

 
神聖を選ぶ前まで怖れと苦しみが自然に見えていましたが、このようにして奇跡が自然に見えるようになるのです。

何故なら、この選択をすることにより、間違った分け隔てが無くなり、幻想の選択肢(より好ましいと思われている代用品、偽りの自己認識)が手放され、真理を遮るものが無くなるのだから。

 
あなたは、神があなたを創造したとおりの存在なのです。そしてあなたが見ている全てのものも(あなたがそのものに与えているイメージにも関わらず)それは同じです。

あなたが病/痛み/苦しみ/喪失として見ているものは「あなた自身を地獄に居る無防備な存在として知覚しようとする誘惑」に過ぎないのです。

この誘惑に身を委ねるのは止めなさい。 そうすればあなたは「全ての場所に全ての形で表れている全ての痛み」が太陽の前の霧のように消え去ることを見るでしょう。

神の子を癒やす為に、そして彼の弱さの夢のドアを閉じ、彼の救済と解放のドアを開ける為に、奇跡が来ています。

『あなたの一つ一つの選択が「(あなたの見ている、あなたの信じている)あなた自身のアイデンティティ」を確立していること』を思い出しながら、あなたの目の前に居る彼/彼女をどのような存在にさせたいか、それをもう一度選び直しなさい。(あなたはこのようにして確定したアイデンティティを(自分として)見て、このアイデンティティを(自分だと)信じるのです) 

{アイデンティティ=自己認識/これが自分だとあなたが思っているもの}

 
私があなたから求めている少しのギフトを拒否しないで下さい。 (あなたが私に与えるギフトのお返しに)私はあなたの足元に神の平和を与えており、『この平和を「不安で孤独で怖れを抱きながら世界中を彷徨っている人達全員」に与える力』をあなたに授けるのだから。

 これは(わたしがあなたから求めている少しのギフトは)、あなたが彼と繋がり、あなたの中のキリストを通して彼の目の上に掛かっているヴェールを取り除き、彼自身の中のキリストを彼に見させる為に、あなたに与えられているのです。

 
救済の中に居る私の兄弟よ、私の声を聞き私の言葉を理解してください。
私が求めているのは、あなた自身の解放だけなのです。

愛らしさがいまだ強烈で包括的な世界の中には、地獄の余地はなく、そこから天国までたった一歩なのです。

 
あなたの疲れた目に私は今までとは違う世界のビジョンを与えます。 それはとても新しく清潔新鮮で、あなたは今までの痛みや悲しみは忘れてしまいます。

そしてあなたはこのビジョンを「あなたが見ている(あなたの前の)全ての人々」に分け与えなければいけないのです。 そうしなければ、あなたはこのビジョンを見られないのだから。


このギフトを与えることにより、あなたはこれを自分のものにするのです。

そして「それはあなたのものである」と慈愛の中で神が任命しました。 わたし達が世界を歩いて、彼(神)のギフトがわたし達のものであることを様々な機会に再確認出来ることを喜びましょう。

このようにして地獄の様々な遺物や秘密の罪や隠れた憎しみが消え去り、それらが隠していた愛らしさが、(キリストが現れる前までわたし達が歩んできた茨の道からわたし達を引き上げる)天国の芝生のように、わたし達の視界の中に現れ出るのです。


私の兄弟よ私を聞きなさい。 私を聞いて私と繋がりなさい。

私の呼び掛けが虚しくなることはないと神が決めたのです。

神の確信の中で、私は満足して休むのです。

何故なら、あなたは聞き、あなたはもう一度選び直すのだから。

そしてこの選択の中で全ての人が安全に成るのです。

 
(訳注: これ以降の文章は神に対する呼び掛けで、あなた=神、私=読者です。 )

父よ、あなたの子供達であり私の兄弟達であるこれら聖なる者達を遣わしてくれたあなたに感謝します。 彼等(私の兄弟)に対する私の信心はあなたのものです。
彼等が私の元に来て永遠にそこに居続けることを(彼等をあなたが知っていると同じ位確かに)私は確信しています。

彼等は私が与えるギフトを受け入れるのです。何故なら、あなたが彼等のためのそのギフトを私に与えてくれたのだから。

そして私はあなたの聖なる意志だけを行い、彼等がそれを(あなたから私に与えられた意図を)選ぶのです。

そして私は彼等に関して感謝を捧げます。

 彼等が(彼等に与えるようにと神であるあなたが私に与えてくれた)ギフトを選択する毎に救済の歌が世界に鳴り響きます。
何故なら、わたし達はひとつの目的を共有しており、地獄の終わりが近づいているから。

私の手は過去の誘惑を退けている(そして完璧に落ちつき輝き透っている光を弛まず見定めている)全ての兄弟と繋がるために伸ばされており、彼等を歓迎しています。

私自身のもの(私の兄弟姉妹)を私に与えてください。彼等はあなたのものなのだから。

「あなたの意志でしかないもの」の中であなたが失敗することが在り得るでしょうか?

私の兄弟の真実に関して、そして私と繋がることを決めてくれた各人の真実に関して、私はあなたに感謝します。 


 地上から天国への感謝の歌が聞こえて来ます。小さなバラバラのメロディーが「地獄から贖われた世界」より聞えてくるコーラスに育って行き、あなたに感謝を捧げるのです。

そして今わたし達は「アーメン」と言いましょう。

何故なら、「時が始まる前の永遠の静けさの中であなたが彼(キリスト)のために設定した住処」にキリストが住み付いたのだから。

旅は終わりに近づいており、それはこの旅が始まった場所で終るのです。

それは(旅の厳しさは)跡形もなく消えるでしょう。

一つの幻想さえも信心には値しないのです。キリストの顔を隠す一つの闇さえも最早残っていません。

あなたの意志がなされました、完全にパーフェクトに。

そして創造されている全てのものが、それ自身の唯一の源としてあなたを認めており、あなたを知っているのです。

あなたのイメージに従って「あなたの中に住んで動いている全てのもの」が光を放っています。

何故なら、わたし達はわたし達が「ひとつ」である所に到達しており、「あなたがわたし達を居させようとしている故郷」にわたし達は居るのだから。

Jun 14, 2011

Chapter 31-2

The Illusion of an Enemy  
敵の幻想

{Walking with Christ [キリストと共に歩む]がJCIM版でのセクション名です}

 
古代のレッスン{分離のレッスン}は、新旧の対立によって克服されるものではありません。
真理を教え知らせる為に何かを打ち負かしたり、真理をアピールする為に何か(誰か)と戦って負ける必要はありません。

 戦闘に備える必要はなく、拡張する(引き伸ばす)べき時間はなく、新しいものを引き出すためにプランを練る必要もないのです。
古代の戦いが真理に対して布告されてはいますが、真理はそれには反応しません。
自分で自分を傷つけない限り、誰がかような戦いで傷つけられ得るでしょうか?

彼は(人は)本当は敵を持っていません。そして彼が夢によって攻撃されることが在り得るでしょうか?

 
「あなたとあなたの真理の間に立ちはだかっているように見えているもの」をもう一度調べてみましょう。 何故なら、これを放棄するためには幾つかのステップを踏む必要があるのだから。
初めのステップであなたは選択する必要があります。その後、真理があなたに与えられるのです。

あなた(達)は{自分達で勝手に}真理を設立しようとしたのです。 {自分達で真理を決めたいという}あなた達の願いによって、何かを決める必要があると考える度に、二つの内から一つを選択するようになっています。 しかしそのどちらの選択肢も真実ではないのです。

そしてそれらの選択肢はどちらも基本的に同じなのです。 

しかし、あなたがそれらを超えて見られるように成り、「本当に異なる違いをもたらせる選択肢」を選べるように成る前に、わたし達は{根本的に違いをもたらさない}その両方の選択肢を見据える必要があります。 

しかし(この点が不明瞭に成っているかもしれませんが)あなた達が作った夢の中であなたがこれを(本当に異なる選択を)するわけではありません。

{夢の中で}あなたが選ぼうとしているのは{本当の}選択ではなく、自由の幻想を与えることだけなのです。何故なら、(あなたがどちらを選んだにしろ)それは同一の結果しかもたらさないのだから。 だからそれは本当は全く選択ではないのです。

リーダー(先導)と追従者は別々の役割として現れ出るものです。 そしてそれらの役割はあなたが手放したくない優位性をそれぞれ持っているように見えます。

だからこれらの役割を混ぜ合わせたなら、そこに満足と平和が得られるような気がするのです。

あなたは自分をこれら二つの役割に分離しているように見ており、この二つの間(リーダーと追従者)で自分が永遠に分けられていると思っています。

そしてあなたの全ての友と敵が「あなたをこのことから助ける方法{自分がリーダーとその追従者に分離していることを認識しないで済ませる方法}」に成っているのです。

もしかしたら、あなたはこれを愛と呼んでおり。もしかしたら、あなたはこれをやっと行なえた正当な殺人(正当防衛)と考えています。
 

あなたは特定の人に(本当は自分でしたかった)リーダーの役割を与えており、その人を憎んでいるのです。 そしてもし彼がリーダーの役を受け取らなかったならやはり彼を憎むのです。 時にはあなたは自分の中の追従者を現し、リーダーの役を他に譲りたいと思うのです。

あなたはこの為に自分の兄弟を作ったのです。 そしてこれが彼の役割だと(あなたのリーダーに成ったりあなたの追従者に成ったりすることがあなたの兄弟姉妹の役割だと)考えるように学んだのです。

もし彼がこの役割を担わなかったなら、彼はあなたが彼に与えた機能を全うしていないのです。 すると彼には役割が無くなり、あなたにとって役立たずに成るので、彼は死に値することになります。
 

さて彼の側ではどうなのでしょう?
彼はあなたから何を求めているのでしょうか? あなたが彼から求めているものを、彼もあなたから求めているのです。{彼も、あなたが彼のリーダーに成ったり、彼の追従者に成ったりすることを求めているのです。}

ここにおいて生命が死と同じぐらい容易(に選択されているのです)。
何故なら、あなたが選んでいるものを、あなたは彼の為にも選んでいるのだから。{あなたが生命を選んだなら、あなたは彼の為にも生命を選んでいるのです。 あなたが死を選んでいるなら、あなたは彼の為にも死を選んでいるのです。}
 

あなたは彼に二つの呼び掛けを行い、彼もあなたに二つの呼びかけを行なうのです。この二つの間に選択が存在しています。何故なら、これらの各呼び掛けからは異なる結果が得られるのだから。

彼があなたにとってリーダーでも追従者でも、それは違いをもたらしません。何故なら、あなたは既に死を選んでいるのだから。{何故なら、「あなたが彼に与えたリーダあるいは追従者の役割」を彼が止めた途端、彼は死に値することになるのだから。 この部分は呼び掛けではなく、呼び掛けへの応答を説明しています。訳注}

しかし彼が、死/生のどちらを呼ぶか、憎しみと赦しのどちらを呼ぶか、によって異なる結果がもたらされるのです。{何故なら、あなたが生を選んだ場合、彼も生を呼び掛けていることがあなたに聞え、あなたが死を選んだ場合、彼も死を呼び掛けていることがあなたに聞えるのだから。訳注} 

その中の一つ{彼が死/憎しみを呼び掛けていること}を聞いたなら、あなたは彼から分離しており、失われている(迷子に成っている)のです。

他方の呼び声{彼が生命/赦しを呼び掛けていること}を聞いたなら、あなたは彼と繋がり、あなたの答えの中に救済が見つかるのです。

 
彼の中にあなたが聞く声は、あなた自身のもの(あなた自身の声)なのです。
彼はあなたに何を尋ねて(あなたから何を求めて)いるのでしょうか? 

よく聞きなさい。何故なら彼は「あなたのもとに来るもの」を求めているのだから。

あなたはあなた自身のイメージを{彼の中に}見ており、そして「あなたの声があなたの求めているものを要求していること」を{彼の中で}聞くのです。

 この質問に答える前に、立ち止まって次のことを考えて見なさい:

 The answer that I give my brother is what I am asking for. And what I learn of him is what I learn about myself.

[私が自分の兄弟に与えている答えが、私が求めているものなのです。
そして彼について私が学んだことが、私が私自身について学んだことなのです。]

 
わたし達は少し待って静かに成りましょう。 わたし達が知っていると考えて来たことを全て忘れて、わたし達がどれ位知らないか思い出しましょう。

わたし達が得られるのは「彼がわたし達と共に得たもの」だけなのです。 彼が進めなかったなら、わたし達は後退してしまうのです。 怒りではなく愛をもって彼の手を取りなさい。何故なら彼の進歩の中であなたは自分の進歩を計るのだから。 そしてあなたが彼を自分の傍に安全に保たなければ、わたし達はバラバラに進んでしまうのだから。

 神の愛の中では彼はあなたと同等の者なので、あなたは全ての「見かけ/見せかけ」から救われており、あなたに呼び掛けているキリストに答えることが出来るのです。

 静まって聴きなさい。古代の思考を考えるのは止めなさい。

あなたに呼び掛けているこの神の子に関してあなたが学んだ陰鬱なレッスンは忘れてしまいなさい。

 キリストは全て(全員)に対して同じ優しさで呼びかけています。リーダーを見ることなく、追従者を見ることなく、彼等全員に対する一つの答えだけを聞いているのです。

彼(キリスト)は「ひとつ」の声を聞いているので、神が彼(キリスト)を神の唯一の息子として任命している限り、彼(神)が与えたひとつの答えから異なった答えを聞くことは彼(キリスト)には出来ません。

 
少しだけ(一瞬だけ)とても静かに成りなさい。以前にあなた達が学んだ思考の全てを捨てて来なさい、そしてあなた達が作ったイメージを手放しなさい。あなたの抵抗や意図がなくなれば、新しいもの(新しいイメージ)の前で古いもの(古いイメージ)は抜け落ちます。

 「大切で守る必要があるとあなたが思ったもの」への攻撃はなされません。「決して発せられなかった呼び掛けを聞こうとしていたあなたの願い」への攻撃は起こりません。

 (静かに聞く為に、そして「あなたが本当に望んでいるもの」の真実を学ぶ為に、あなたが訪れている)この聖なる場所であなたを傷付けるものは何もありません。

あなたが学習するべきはこのこと(上記のこと)だけなのです。

しかしあなたがこれを聞いている時、あなたは自分が求めていなかった(そして決して真実には成らなかった)思考を手放してここに来る必要があることを理解するでしょう。


あなたの兄弟の見かけ(様相)を全て赦しなさい。 それらは、あなたが自分に教えた「自分の中の罪深さ」の古代のレッスンにしかすぎません。

慈悲への彼の呼び掛けを聞いて、彼が「彼であるもの」に押し付けている怖ろしいイメージから(彼を)解放しなさい。 {そして、そのイメージが「あなたはこうであるに違いない」という定義もおこなているので、彼がそのイメージから解放されれば、あなたも怖ろしいイメージから解放されるのです。}

彼はあなたと共に歩むことを怖れており、(あなたより)少し後か前に居た方が自分を安全に保てると考えています。

 
あなたが(彼と)同じ考えをもっていたなら(彼が後退した時だけ自分が進み、彼が進んだ場合自分が後退してしまうと考えたなら)、あなたは前に進めるでしょうか?

何故なら、その場合あなたはこの旅のゴール(目的)を忘れてしまうから。

この旅のゴールとは、(どちらかがリーダーに成ったり追従者に成ったりすることなく)彼と共に歩く決断をすることなのです。

だからこれはあなた達が(一人きりではなく)一緒に歩く道なのです。

この選択をしたなら学習の結果が変わるのです。 何故ならその時、あなた達両者の下にキリストが生まれて来ているのだから(キリストが再来しているのだから)。

 
「誰があなたの偉大なコンパニオンなのか、彼は(あなたの偉大なコンパニオンは)何を求めているべきなのか」に対するあなたの古いアイディア無しに一瞬でも過ごしたなら、これが(キリストの再生/再来が)可能になるのです。

 そしてあなたは「彼の目的があなたのものと同じである」と知覚/認識するのです。

「あなたが求めているもの」を彼も求めており、あなたと同じ必要を持っているのです。

それは(必要や欲求は)彼の中では(あなたとは)違う形で表れているかもしれません。 しかし、いずれにしろあなたは形に答える訳ではありません。

彼が訊ね求め、あなたが受け取ります。 何故なら、あなたはひとつの目的だけを抱いて来ているのだから。 その目的とは、あなた達両者が兄弟の愛でお互いを愛していると学ぶことです。

そして兄弟として、彼の父があなたの父でもあるに違いないのです。 そして彼はあなた自身に似ているに違いないのです。

あなた達の共有されている相続権は、あなた達両者によって一緒に思い出され受け取られるのです。

孤独である限り、それ(父からの遺産)はあなた達両者のどちらにも与えられないのです。


 あなたがリーダーに成ったり追従者に成ったりする事にこだわっている間、あなたは「誰も連れずに自分は一人で歩いている」と考えているのですが、これがまだ明確に理解されていません。

それ{現在あなたが一人で歩いている道}は袋小路です。 何故なら、あなたが一人で歩いている限り光は与えられず、自分が何処に向かっているかあなたには見えないのだから。

だからあなたが暗闇の中一人で行き来している時、そこには混乱があり、終わりのない疑念があるのです。
しかしそこに見ているのは、旅の様に見えているもの、旅が作られている様子だけなのです。

何故ならあなた達の隣には、あなた達のために光を燈している者がおり、各ステップを確実に安全にすることが出来るのだから。
目隠しは確かにあなたの視界を隠すことが出来ますが、それが道そのものを暗くすることは出来ません。

そしてあなた達と一緒に旅している彼(聖霊)が光を持っているのです。