Mar 15, 2011

あなたは#2


「奇跡の原則」に関するイエスのガイダンス


1. There is no order of difficulty among miracles. One is not “harder” or “bigger” than another. They are all the same.  All expressions of love are maximal.

1.奇跡に難しさの違いはありません。 一つの奇跡が他の奇跡よりも難しかったり、困難だったりすることはありません。それらは全て同じです。 「愛」の表現は常に最大なのです。

癌を癒すことは、指のささくれを癒すことと同じぐらい容易です。何故ならあなたの「完全性」に対する攻撃は全く不可能だから。

あなたは好きなだけナイフで空気を切ることが出来ますが、そうすることによって空気を傷つける事は決して出来ないでしょう。 
それと同じように、あなたを傷つけることは、あなたの「存在」を冒涜することは、不可能です。
だからそのような冒涜はいつでも消し去ることが出来るのです。


2. Miracles as such do not matter. The only thing that matters is their Source, Which is far beyond human evaluation.

2.奇跡そのものはどうでも良いことです。本当に肝心なのは奇跡の「源」であり、それは人間の評価を遥かに超えているものです。

何故、奇跡がどうでも良いことだと「私」は言ったのでしょうか? 
何故なら、それらは「リアリティ」にとっては不必要なものだからです。しかし今「あなた自身」を体験しているあなたにとっては奇跡が不可欠です。 奇跡とは、あなたの夢の中にハッピーな侵入者として入って来る「リアリティ」なのです。


3. Miracles occur naturally as expressions of love. The real miracle is the love that inspires them. In this sense, everything that comes from love is a miracle.

3. 奇跡は「愛」の表現として自然と起こるものです。
奇跡を可能にする「愛」こそが真の奇跡です。 この意味で、愛から来るもの全ては奇跡です。

この観点から、「リアリティ」が「愛」だと、そして『「愛」に満たないもの』は全てリアルではないと、あなたにも理解出来るでしょう。「リアリティ」とは「生命」のことでもあります。 「生命」に満たないものは、全てリアルではありません。


4. All miracles mean life, and God is the Giver of life. His Voice will direct you very specifically. You will be told all you need to know.

4. 全ての奇跡は生命を意味しています。 そして「神」が「生命を与えるもの」です。 「神」の「声」があなたをとても丁寧に導くでしょう。あなたが知るべき全てのことをあなたは聞くでしょう。

あなたは(自分で考えずに)ただ聞く必要があるのです。そうでなければ、「愛の声」は届かないでしょう。 だから私はあなたは目を持っているが、見ることが出来ていない。耳を持っているが、聞くことが出来ていない6 と言ったのです。

これは預言者エレミアが次の言葉を言った時に意味していたことでもあります。

あなたは生きている水の泉-生命-を忘れてしまい、水ためを壊してしまった。

水を保つことが出来ない「壊れた水ため」7 とは、限定的概念(エゴ)のために「頭脳」を持ち、生命のために「体」を持っている限定された器のことです。

「生命」を体に保つことは不可能です。「生命」を体で限定したり、体に縮小したり、体でコントロールすることも出来ません。

「生命」が「あなた」なので、それは常にあなたに与えられています。それは「愛」と同じ意味を持っています。


5. Miracles are habits and should be involuntary. They should not be under conscious control. Consciously selected miracles can be misguided.

5.  奇跡とは習慣であり。それは自然と起こるべきものです。
それを意識的にコントロールしようとするべきではありません。意識的に選択された奇跡は過ちの元です。

つまり、まず聞いてそれを信頼しなさい。 あなたが必要としているものを「神」に打ち明けなさい。そして「あなたが損なわれてしまうことはない、あなたの安全は保障されている」と自信を持って神の腕に委ねなさい。 

どれだけあなたが「愛されて」いるか、もしあなたが(その存在の全てをもって)知っていたなら、 あなたの懸念は消え去り、慈しみ抱擁するサポート(援助)の中であなたはリラックスすることが出来るでしょう。


6. Miracles are natural. When they do NOT occur something has gone wrong.

6.奇跡は自然なものです。もし奇跡が起こっていないなら、何かが間違っているのです。

この間違いを正すことは難しくありません。 これは簡単な間違いにしか過ぎないのです。

あなたは自身を「神」から分離することに成功したと考えました。 しかしあなたにそんなことは出来なかったのです。 あなたを苦しめているのは、そのような信念、「神」から自分を分離することが出来たという信念だけです。 そして望むなら、信念は簡単に変えることが出来ます。


7. Miracles are everyone’s right, but purification is necessary first.

7.  奇跡を得ることが全ての人の権利です。しかし、まず浄化が必要です。

浄化とは何でしょう? これは長く辛い仕事でしょうか? 善の力として悪の力と戦うことでしょうか? あなたは「四肢を張って」「悪の力(貴方自身や他の人達の中の悪)」と戦わなければいけないのでしょうか?
あなたは、ミカ書にあるように、「自身の魂の罪のために」第一子を犠牲にしなければいけないのでしょうか?
いいえ。

あなたに求められていることは“正しいことをして、慈悲を愛し(慈しむ心を持ち)、あなたの「神」と共に謙虚に歩んでいくこと”8 だけです。
そしてあなたの「神」が「愛」以外の何であり得るでしょうか?

これを要約すれば、あなたが他の人にしてもらいたいと思うとおりに、他の人に対して行いなさい“です。とてもシンプルでしょう? 

あなたの「神」に対する献身が、他者に対するあなたの「愛」として自然に現れ出るのです。


8. Miracles are healing because they supply a lack in that they are performed by those who temporarily have more for those who temporarily have less.

8. 奇跡とは、「一時的により多く持っている者」が「一時的に不足を体験している者」に対して行うことで、不足を満たして癒すことなのです。

ウーン。「私たち」は全て平等ではないのですか? これはどういう意味でしょう。  

奇跡が癒すのは、それが「より多く覚えている者」から「忘れてしまった者」への贈り物だからです。

ここで重要なのは「何かを忘れたからといって、それが無くなってしまったわけではない」ということです。
あなたはただ単に自分がそれを持っていることを忘れていただけなのです。

これが(あなたが忘れているもの、しかし失われてはいないものが)あなたの本当の性質(本当の在り方)、あなたの貴重な神性なのです。
これを思い出すことにより癒しが起こります。


9. Miracles are a kind of exchange. Like all expressions of love, which are ALWAYS miraculous in the true sense, the exchange reverses the physical laws. They bring MORE love both to the giver AND the receiver.

9. 奇跡とはある種の交換なのです。 (その本質において常に奇跡的である)全ての愛の表現同様に、この交換が物理的な法則を逆行させます。 この交換が「与えている人」と「受け取っている人」の両方により多くの愛をもたらすのです。

さて、どのようにして物理的法則が逆転され得るのでしょうか? 物理的法則はとても頑強に見えます。 

もう一度言いましょう。“あなたはナイフで空気や日の光を切ることが出来るでしょうか? それとも、光や風はいつもと変わらずにそのまま動いて行くでしょうか?  そしてあなたは光や風のような存在なのです。

(だからあなたという存在は、全く損なわれていないのです。 「このことを忘れている人の見方」を「このことを思い出している人の見方」で取り替えるのです。 訳註)


10. The use of miracles as spectacles to INDUCE belief is wrong; or, better, is a misunderstanding of their purpose.  They are really used FOR and BY believers.

10. 「奇跡を見世物のように扱って、信心を与えようとすること」は間違っています。より正しい言い方をすれば、「奇跡を誇示することは、その目的を取り違えた行為です」。それら(奇跡)は本当のところ「信じている者」が「信じている者」のために使うものです。

奇跡とは、あなたの注意を正しい所に集めるためのギフトなのです。 これは「思い出すこと」を呼び掛けている声なのです。奇跡は絶望の海の中に浮かんでいる筏なのです。奇跡は「何か良きもの」が存在しており、それが、まさに今あなたに対して与えられていることを「垣間見させるもの」なのです。


11. Prayer is the medium of miracles. Prayer is the natural communication of the created with the Creator. Through prayer love is received, and through miracles love is expressed.

11.  奇跡の媒体は「祈り」です。祈りとは「創造された者」が「創造主」と交わす自然なコミュニケーションなのです。祈りを通して「愛」が受け取られ、奇跡を通して「愛」が表現されます。

祈りとは人間体験の中の黄金(輝けるもの)です。それはより良きものを求め、そのようなものが存在しているに違いないと薄っすら気づいているハートの渇望なのです。

奇跡を通して「愛」と呼ばれるこの「もの」の真実が現れます。
これは、ただ単に体や状況を癒すためだけにやって来るのではなく、「このギフトの後ろに立っているもの」の可能性を示すためにやって来るのです。それ(愛)が求めているのは、あなたがその捧げものを受け取ることだけです。


12. Miracles are thoughts. Thoughts can represent lower order or higher-order reality. This is the basic distinction between intellectualizing and thinking. One makes the physical and the other creates the spiritual, and we believe in what we make or create.

12. 奇跡とは思考です。思考は、リアリティの高い秩序を示すことも、低い秩序を示すことも可能です。これが知識化と思考の基本的な違いです。
知識化(分析)は「物理的なもの」を作り、思考は「スピリチュアルなもの」を創造します。そして私たちは、私たちが『作ったもの』か、あるいは『私たちが「創造」したもの』のいずれかを信じるのです。

ここには少し説明が必要です。上記の文は「物理的/身体的なもの」にある種のリアリティを与えているように聞えます。あたかも「スピリット」と「スピリットに対抗するもの」としての「物質」があるかのように聞えます。

下記がここでの要点です(これはレッスン97やその前のレッスンに示されています)。 

「スピリット」だけが実存しているものです。

私が「知識化/分析」と呼んでいるものは、誤認識(誤解)のことです。
それは、庭の壁に絡まっている蔓を遠くから眺めて、それを蛇だと誤解するようなものです。
この例では、蔓が「リアリティ」で、あなたと蔓の間の距離があなたと「神」の間の分離を示しています。そして蛇があなたの見ている世界です。分離が起こったと思われている時点から、「リアリティ」がそのように見えるようになったのです。

そして「起こったと思われている時点」という言い方をしているのは、あなたは決して実際には分離しなかったからです。

この瞬間にあなたは、父母の愛に抱擁されており、どの時点でもこの「愛」を選ぶことが出来るのです。

「物理的なもの/身体的なもの」とは夢の感覚なのです。「スピリット(霊)」が「リアリティ」であり続けています。たとえあなたが何度「生まれて/年取って/病を体験し/死ぬこと」を選択しようとも。

これは辛く馬鹿げたゲームにしか過ぎません。
あなたが自身のことを、危険や苦しみや死から逃れられない必滅者(モータル)として見ていたとしても、そのようなものは実際には存在していません。

今という瞬間の中で、あなたは「スピリット」つまり「愛の現れ」なのです。 これがあなたの癒しであり、世界の癒しなのです。

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