Mar 15, 2011

あなたは#10


28. Miracles are a means of organizing different levels of consciousness.

28. 奇跡とは異なるレベルの意識を統合するための方法です。

奇跡は「物事に対する見方は一つだけではない」という気付きをもたらします(もちろん、本当にリアルなことは「ひとつ」だけなのですが)。

あなたは自分の想像上の暗い視点だけに固執するのではなく、幾つもの視点/見方の中を動いていくことが可能なのです。

ハレルヤ! 全てに対する今までとは違う見方が存在しているのですね?
その通りです。


2006617

Miracles come from the below or subconscious level.

奇跡は下のレベル、または無意識のレベルから来るものです。

フロイト博士は「無意識」があなたの「普通」の意識よりも、より根源的なレベルであることを提示しました。

「無意識」はより衝動的で、だからあなたの日常的表層意識は「無意識」を細かくコントロールしようと努めています。

しかし、無意識の中から思いがけないことや驚くべき奇跡がやって来るのです。

無意識とは、エゴ意識が注意深く築き上げてきた「信念システム(世界観/宗教観)」や「ペルソナ(パーソナリティー)」を脅かしかねないものが押し込められている所です。
(ペルソナとはラテン語で「仮面」という意味です。)


奇跡は(不意に現れた失礼な行為と同じ位、あるいはそれ以上に)エゴの思考システムを揺るがすものです。

エゴは、それ自体を「善良な者」として見せたがります。

しかし、エゴは「自分のルールを侵害した者」を 懲罰するために、大きなバットを後ろに隠し持っています。
エゴの「ルール」は多種多様ですが、それらは全てエゴの狂気に「敬意」を払わせることをその目的としています。

エゴの思考はとてもキチガイ染みているので、「宗教改革者達(宗教をその本来の姿に戻そうとした者達)」が「大衆が共有してるエゴの狂気」の手で苦しめられて来たことは不思議ではないでしょう。

これは解る人には良く解ることです。

あなたは「自分が人生と呼んでいるもの」に必死にしがみついている
と同時に、自分の食事に毒を盛って(しかしそれが自身を健康にすると考えて)食べています。 あなた達は子供や家畜を護るための法律を制定していますが、それなのに彼等に害のあるものを注入しており、彼等が病気になった時その理由を無視しています。

事実、病があなた達の生活の一部になってしまっており、医者があなた達の新しい神になったのです。しかし医師に落ち度があれば、あなたは喜んで告訴しお金を請求します。

そして、自分で求めた惨めさ/病から新しく得た富で、新たな治療者を探し、新しい毒(誤解)を求めるのです。

それらがあなたにとっての物質的神々なのです。(あなたは自分の体験の原因をそれらの信念/アイディアの中に求めています。) 
それらを信じている時あなたはスピリット(霊)を全く無視しています。

しかしあなたはスピリットなのです。 あなたがそれに気付けば、あなたは(毒や治療の失敗にも関わらず)自身が完全で自由なことに気付くでしょう。


「神の息子/神の娘/神の現れそのもの」は常に、あなたの父母の完璧性の表現として、あなたの栄光の中に存在しているのです。

ではあなたは何故、現在のような奇妙で「リアルではない状態」を選んだのでしょう?

今すぐ読むのを止めて、あなた自身にこの重要な質問を尋ねてください。
そして、この答えが出てくるまで待ってみなさい。 
これが啓示をもたらすでしょう。 私たちはそれに関して次に話します。


数時間後:


Revelations come from the above or superconscious level.

啓示は上から、または超意識のレベルから来るものです。

何故だと思いますか?

「無自覚な人たちは啓示をブロックしている」とわたしは言いました。

では少し啓示に関して読んで、あなたが知っていることを思い出してもらいましょう。 そうすればあなたも、私の言いたいことを聞けるようになります。
これは大変重要なことです。

人間の意識に異なるレベルが存在していることは広く理解されていますが、「三位一体」が本当に存在していることは知られておらず、まったく理解されていません。

ここで「父」と呼ばれているのは、「神」である「マインドそのもの」の「現れ」なのです。

同時にこれは、あなたという「あなたのマインド」でもあります。
「神」から分離していない「あなたのマインド」です。
「あなたのマインド」という「神そのもの」が「意識」としてあなたに「成っている」のです。

そして「息子」とは、『「神」から自身を分離させた思考状態』の中だけに存在しているものです。 このようにして、二つのもの(「神」と「息子」)があるように見えています


The conscious level is in between, and reacts to either sub or superconscious impulses in varying ratios. Consciousness is the level which engages in the world, and is capable of responding to both.
Having no impulses from itself, and being primarily a mechanism for inducing response, it can be very wrong.

意識のレベルは超意識と無意識の中間で、超意識と無意識の混ざり合った衝動に反応しているのです。意識は世界と関わるレベルにおいて、超意識と無意識の両方に反応することが出来ます。
意識そのものは衝動を持たず、基本的に反応を誘導/伝達するだけのメカニズムなので、それは時として大きな間違いを犯します。

「息子」つまり「(顕在)意識レベル」において、「神聖な衝動」と「卑しい衝動」の両方が体験されているのです。

これは、とても分離した状態で、「息子/(表層)意識」は二つの反する在り方と対峙しているのです。

「精霊」とは、(何度も私が言って来た通り)あなたのために保たれている「あなたの正気」です。

『「精霊」から来る衝動を意識的に感じること』をあなたが自分に許したなら、それが奇跡として体験されるのです。

だから三位一体は最上の状態ではなく、分離が消えたワンネス(合一状態)を回復するための方法なのです。

そしてあなたが自身の「全体性」(全体に対するあなたの自然な体験)を取り戻すに従い、「聖なる独創性」つまり「常に新しい神の創造」が体験されるのです。


2006 618

Revelation induces complete but temporary suspension of doubt and fear.

啓示には、疑いと怖れの一時的な、しかし完全な保留(一時停止)が含まれています。

啓示とは、一体性のスペース/空間です。
啓示とは、一体性の現れているスペースです。
啓示とは、あなたの「マインド」が「リアリティ」を理解して、あなたの「マインド」が「リアリティ」に成っている瞬間のことなのです。

それは長く忘れられていた理解で、(夜明けが来て日が昇って来るように)「光」によって意識が照らされ、その意識が「光そのもの」に成っていくのです。
そう、それは「天国」の体験です。 真の体験です。

何故それは続かないのでしょうか?

それは、エゴが熱心に自分の領域(エゴはそれをあなただと考えています)を防御しているからです。

あなたを直ぐに「天国」から逸らすことが出来ない場合、エゴはつまらない耽溺にあなたを捕らえようとします。

それは「蔦を荒らす小さな狐」“little foxes that spoil the vine”(ソロモンの歌 2:15)のようなものです。
そのようにして、エゴの性癖がエゴの思考をあなたの意識の中に挿入して「熟れた葡萄を食べ散らかして」います。

しかし、それでも(エゴの思考が全てを台無しにしてしまう前に)あなたは美しい体験を味わっており、その幸福が「自分の手の中に何か素晴らしいものがある」と思い出させています。


It represents the original form of communication between God and His Souls,

それは、「神」-「神の魂達」間のコミュニケーションの原初の形を示しています。

上記の文章に関してより詳しく説明する必要があります。

ここでは、あたかも二元性(二つに分かれた存在)が実存しているような表現が使われています。

His Souls(神の魂達)」と呼ばれている「創造」と「神」の間に違いがあるかのように表現されています。

魂(ソウル)は「神」と同様に単一のものです。 
「真理」は何時でも単一(唯一無二)なのです。

それは「無限」に、そして無数の異なる形で現されています。

しかし、その「全体性」は「ひとつ」なのです。

「魂」の表現は、兄弟姉妹の輝ける「アイデンティティ」は、無限です(有限な形の中には納まりません)。 そしてその「無限」は常に「全てを内包」しています。

「愛」の外に取り残されている人やものは何もありません。
「全体」にとって、あなたは不可欠なのです。

だからここでコミュニケーションと言われているものは、通常のそれではなく、永遠に継続され続けるコミュニオン(霊的交歓)、つまり強烈な合一体験のことなのです。


この合一体験(つまり啓示)の中で、「神」である「マインド」があなたのものになり、あなたは突然「何か神聖なるもの」を知り感じるのです。



involving an extremely personal sense of closeness to Creation,

これは「創造」に対する個人的で非常に親密な感情をもたらします。

そしてそれ以上のものをもたらすのです。

ここでも「親密」と言う言葉が複数の存在を示唆しています。
しかし、これは強烈な合一なのです。 合一とは「そこにそれしか存在しなくなる」ということです。

だから孤独という言葉は無意味なのです。 それは「全てが一つである」という事実からは正反対のことです。

エゴは「それ自身」と「その他全て」を孤独と知覚しています。
エゴは宇宙全てを「分離した孤独なものの集まり」と知覚/解釈するのです。

しかし「全てが一つ」が「リアリティ」なのです。
そして「全て」という言葉が、あなたの「聖なる個性」を永遠に保障しています。

これは素晴らしい安らぎ/安全/喜びのフィーリングです。 そこには、エゴの怖れは存在していません。

人々は、このコミュニオン(霊的交歓)のワンネス(一体感)をおぼろげながらも覚えているのです。 だから分離している人々も、何らかの親密さを求め続けます。 

例えば:

which man tries to find in physical relationships. Physical closeness CANNOT achieve this.

人はそれを肉体関係の中に求めています。 しかし身体的親密さを使ってこれ(合一)を得ることは不可能です。

「目覚め続けている存在」が「分離した者達の行ったこと」をはじめて見た時、「全て」が驚き楽しみました。

セックスは再生/生殖の「聖なるプラン」として認識されています。
しかしこれは正しくありません。

「神」は物質的身体をデザインしませんでした。
ここでデザイン(設計)と呼ばれているものは、誤認識(誤解)つまりぼやけた視界に現れているものです。 物質的身体のデザイン(として見えているもの)には、再生の一部やプロセスが欠落しています。

「分離しているふり/人間のふりをしている者達」が(それは不可能なのですが)、このような形でセックスをしているのは、ただ単に彼等にはそうすること(そう信じること)が出来たからです。

まず誰かがそのようなアイディアを考え、それが「神聖なもの/神聖な儀式」と考えられるようになりました。 そして、それは人間の豊かな想像力によって、瞬時に卑俗なものに堕ちていきました。

それからセックスや生殖に関する様々なルールが制定され、それが固く信じられるようになりました。

このように「分離している者達」は創造に関しても、「神」の真似をしたがったのです。


The subconscious impulses properly induce miracles, which are genuinely interpersonal, and result in real closeness to others. This can be misunderstood by a PERSONALLY willful consciousness as impulses toward physical gratification.

無意識の衝動は正しく奇跡をもたらします。 それは真摯な対人関係や他者とのリアルな親密さを可能にします。 個人的な自意識は、これを身体的快楽への衝動と誤解します。

これは、エゴの働きを理解する上でとても重要な文章です。

啓示は常に起こり続けています。
啓示は「神」が「私たちのマインド」に成っている時の「聖なる英知」です。

エゴは、あなたに「自分が誰か」思い出させたくないので、この啓示をブロックする必要があります。

「身体的快楽(と呼ばれているもの)への衝動」は全て、啓示(つまりワンネス)をブロックしようという試みなのです。

エゴは、このブロックが快く感じられるよう、そしてそれが欲求として感じられるように中毒を発明しました。

あなたが自己満足(自分だけを満足させようとすること)に意識の焦点を絞ってしまうと、それは啓示をブロックする殆ど完璧な壁になってしまいます。

このこと故に、原初キリスト教の禁欲主義者達は日常的快楽を否定することに喜びを見いだしたのです。 彼等は「素晴らしいこと」の中で「喜んで」いたのです。
何故なら「自己」否定はエゴの否定で、それを行うことで「神」との「コミュニオン」が体験されていたからです。

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